カテゴリー: NOVEL

駄文の倉庫

箱(旧ver.)

「君は手が悪いの?」

白い空間。
白い天井。白い床。白い椅子。白い服。白い腕。

そして、手錠をかけられた俺の手首。

すべて、単純なものであった。

腕を揺らしてみると、特有の不愉快な音をかき鳴らすこの鉄の塊は、何でか知らないがいつのまにか俺の手首に付けられて、そこに存在を示している。

不愉快で仕方がないし不便である。だが、そんな俺の心情なんかすべて無視してそこに存在する手錠に、次第に俺は慣れていった。いや、慣れるしかなかった。

むしろ、手錠をしてないときはどんなことをしていたか、わからなかった。

その自由な手で俺は何をしたのか、どんな人生を送っていたのか、この手でどんなものを触ったのか。
すべて俺はわからない。ぽっかり穴が開いたように思い出せなかった。

「ねえ、聞いてる?」

知らない声。いつの間にいたんだよ、と声を出す気力もない。こいつのために声を出すのは億劫だ。
身体がそう叫んでいた。俺の身体は意外と辛辣だな、と思うと少しだけ笑えた。

「あのさあ、無視はよくないよ。正直傷つくし、俺変な人みたいじゃん。」

大体あってるんじゃないか。だって俺は手錠をつけて椅子にうなだれている変なおじさん……いや、お兄さんに間違いない。
そんな奴に話しかけてるんだ、こいつも頭がおかしい奴に間違いはないだろう。単純で頭を使わない素晴らしい結論が出ましたね。よかったですね。ハイ終わり。にしたいものだが、そうともいかないらしい。

「……」

そんなこいつは誰だ。黙り始めるかと思いきや俺のことをずーーーーーーーーっと見続けている。視線を感じる。痛い。痛いから早くやめろ。
そんなに視線を向けられても俺はファンサービスなんてあげられないぞ。

「……………」

「…はあ」

顔を上げた。俺の負け。完敗。君の祝勝会に乾杯でもしようか。
そんなことを考える堕落した頭は、ただの白い空間の中に一人の男を認識する。

金色の髪がまぶしかった。青い目が輝いていた。ように見えた。いや確かに綺麗だ。
金髪碧眼。整った顔立ちに甘いマスク。弧を描いているその口は、とても形が良くて。
ひと目でわかる、美人な野郎だ。

誰だ?こんなやついたっけ?

そう思いながらも、どこか懐かしい雰囲気も感じられる。
この手錠がない俺は、彼のことを知っていたのだろうか。

「やっとこっち向いてくれたね」

そう嬉しそうにする彼を俺は知らない。初めて見る。
いやそもそも、俺は人間に会っていたっけ?
それさえもわからない、こいつのことは知らない。誰だ?
そんな当たり前の思考でいっぱいになる俺の頭は、そんなに出来が良くないのかもしれない。きっと良くない。俺はそんな風に出来ている。

「俺はイシュア。よろしく」

イシュア。綺麗な名前だな。

そう思った。そしてそのすべてが綺麗な彼から伸ばされた手に、俺は簡単に手を伸ばす。

「…俺はクヴァ」

「クヴァくんかあ、よろしくね」

久しぶりに自分の声を聴いた。ひどく、疲れた声だった。
だけど、どこか嬉しそうな声でもあった。

久しぶりに動かした足は、きちんと床を蹴ってくれた。冷たい、白い床を。
俺はどこに向かうんだろう。イシュアに連れられてどこに行けばいいんだろう。

今はただ、ついて行くだけ。

重荷

クソ、というイラついた声と共に目の前で吹っ飛んでいった椅子は、確か僕達が人間界に降りて初めて僕がもらったバイト代で買った椅子だった気がする。大きな音を立てて床に転がった椅子を横目でチラリと見つめると、おそらく足のところに傷がついた模様。僕の心にも傷がついた。

「俺達の目的は偉大なる我らが神の身体をいち早く見つけ出すこと。あんなクソみてえな悪魔達に引けを取ることは到底許されない」

そう吐き捨てた僕の相棒は、つい先ほどたまたま遭遇してしまった向こうの神の使いの者に対してかなりご立腹のようだ。昔から彼は静かなように見えて、感情が高ぶると熱のように止まることを知らない。こういう時は、いつだって僕がストッパーになっている。

「まあまあディノス落ち着きなよ。確かに僕らは天使で、フィリティシア様を探している。けど、もう1つ目的があること、忘れてない?」

「……」

彼のその激情に駆られた様子を諫めるように、僕は冷静に落ち着いて言葉を彼に投げかける。黙り込んではしまったが、彼は昔からちゃんと僕の言葉は聞いて飲み込んで、そしてしっかり考えてくれるのをよく知っている。気まずそうに目をそらしたディノスを見つめて、僕は優しく微笑んで彼の考えを待った。

「…忘れてなんかない。けど本当に見つかるかどうかなんて分からないし、こんなの俺らのエゴでしかない」

絞り出すように紡いだディノスの言葉は、彼には珍しく気弱であった。真面目でごまかしが嫌いであるディノスから”わからない”という言葉が出てくるのは、思い返してみてもなかなかないのである。

「…この世界は、ディノスが思っている以上に”ソレ”で満ちているよ」

雰囲気が重苦しい。肺の中にたくさん溜まっていた息を落ち着いて吐き出した声は、なんとなく震えていたような気がする。

落ち着けよ、と呟き俺の目を見つめるディノスに、僕はゆっくりとひとつため息をついて、大丈夫だよと返し、まっすぐにその綺麗なグレーの瞳を見つめ返した。それを合図とわかったのか、彼もひとつ息を吐き、僕に言葉を投げかける。

「アクトだって本当は不安なんだろ?確証なんかないんだ、この世界に堕ちてるかなんて誰も知らないんだ」

君は、いつでもまっすぐに物事を見つめられる。それを隠さず、僕に伝えてくれる。たとえそれが残酷なことでも、僕らの主を否定することでも、きっと君は僕には伝えてくれると信じてる。

僕はまたきゅ、と苦しくなった心をごまかすように心臓のあたりを手で抑えると、静かに言葉を探して、ディノスへと返していく。

「…だからこそ探すしかない。大丈夫だよ、僕らは幸いにも天使なんだから。人間なんかよりはるかに生きられるし強いよ」

「そういう問題じゃない。しかも強いかどうかも正直関係ない。お前意外と脳筋だよな」

「あはは、ディノスに言われたくなんかないな」

重苦しくなっていた空気が晴れやかになっていくのを感じる。なんだよとむっと頬を膨らませていたディノスを見てへんなかお、と追加で笑うと彼も我慢できずに笑った。

この時間が好きだ。今だけでも嫌なことを忘れられる、この相棒とだけ紡がれるこの幸せな時間が。

だから、今だけでも。僕らの”天使”という肩の重荷をなかったことに。どうか我が主よ、お許しください。